不まじめと非まじめの違い
はじめまして!Akiramonと申します。
58歳まで大手メーカーで働いて早期定年退職をして3年が経ちました。
私は今人生の折り返し地点にいると思っています。
今まで会社の仕事以外に、アパート経営や投資、ヒプノセラピスト(催眠療法士)としての活動、瞑想、各種セミナーでの勉強など、さまざまなことをやってきました。
この機会に自分の半生を整理しつつ後半生へ向けてのスタートを切ろうと思ってブログを始めました。
お金や健康からスピリチュアルなことまで、人生を生きていく上での有効な情報を提供していこうと思いますので、よろしくお願いします。
さて、「非まじめ」についてですが、みなさんは「不まじめ」という言葉はよく使いますね。
だから、「非まじめ」と聞いた時に、「なんのこっちゃ?」あるいは「言葉の遊びじゃないか?」と思われるかもしれません。
しかし、少し言葉を変えただけで、そこには意識の違いが表れるということなんです。日本語は微妙なニュアンスの違いを表現できるので面白いですよね
日本人はたいてい、まじめですから、不まじめなことは嫌いですよね。
不まじめというのは、常識を逸脱して暴走するようなイメージがあるのではないですか?
それに対して「非まじめ」は
思考の範囲を広げること。創造性、想像性を発揮して、
新しい発想を得ることを指します。
なぜ「非まじめ」が今必要なのか?
自分は、常識を逸脱してはいけないと、自分自身で縛っている人が多いです。
でも、その常識とは?・・・自分で作ったものです。
確かに親や教師、社会からの影響を受けていると思いますが、それをどの程度“まじめ”に考えるかは自分で決めて良いのです。
例えば、一つの会社で定年まで勤めて、年金をもらって余生を暮らす・・・今まではそれで良かったのですが、これからはどうでしょうか?
過去には、単に30年貯金をしているだけで、資産が5倍になった時代もありました。
しかし今はマイナスですよね。
だから自分でリスクをとって、会社以外の収入の道を探す必要があるでしょう。
そのためには「非まじめ」が必要なわけです。
非まじめに対する抵抗勢力
抵抗勢力は常に自分の中にあります。
なにか新しいことをやる際には必ず恐怖がありますよね。なぜ恐怖を感じるか考えたことありますか?
それは自分で考えることに慣れていないからなのです。考えることは誰か偉い人に任せて、自分は指示に従っていれば良いという意識が潜在的に働いているのです。
まぁ社会や会社に依存しているのですね。
人間は、考えるのが一番大変な作業であって、指示に従って体を動かす方が楽なのです。
私はうまくいかなくなった先行事業のテコ入れなどの業務も担当したことがありますが、どんな立派な大学を卒業した人でもこのパラダイムに陥ってました。
今までとは違うことを考えたり。行動したりするためには、恐怖に目を向けるのではなく、将来のあるべき姿に目を向けた方が良いのです。
これは「引寄せの法則」にもかなっています。そして、自分にとって無理のない範囲で行動すること、無理をしないことですね。
でも、なにか今までとは違うなにか新しいことを始めることが、将来の自由につながると思います